五島の潜伏キリシタン

故郷の話を書きました。90歳、1930年生まれで潜伏キリシタンの末裔になる尾上さんに伺ったのは、五島の壮絶な歴史、漁師としての人生、先祖を思う気持ちでした。 ぜひぜひご覧ください。よろしくお願いします。

迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|田川基成|ニッポン複雑紀行

「ノングインレイ」スティップさんの人生

NPO法人難民支援協会の「ニッポン複雑紀行」で撮影取材した記事が公開されました。ラオス難民として来日し、東京・高田馬場にシャン料理店「ノングインレイ」を開いたスティップさん(山田さん)の波乱万丈の人生です。ミャンマー留学、冷戦、内戦、CIAの通訳、敗戦、逃走、日本、生活戦争。すごいストーリーなのでぜひ読んでみてください。

僕もインドシナ難民というと、ほとんどベトナム難民の印象しかなかったです。実はラオスでも、冷戦によって引き裂かれた民族がたくさんありました。今回はラオス内戦からタイを経て日本まで逃げてきた難民のスティップさんの個人史です。当時の米軍やCIAとの関わりを含め、貴重なインタビュー。そして店主スティップさんの人生もすごいんだけど、「ノングインレイ」のシャン料理、本当に何を食べても美味しいです。味付けは濃すぎず、素材の旨味がよく調和してる感じ。高田馬場に寄ったらぜひ行ってみてください。あの「孤独のグルメ」もSeason 6-6で来店してます。

鬼海弘雄さんの記事

「浅草ポートレート」で知られる写真家の鬼海弘雄さんの記事を、Yahoo!ニュース特集に書きました。素晴らしい写真を撮られる大先輩なので、取材と執筆は気が引き締まる思いでした。ぜひ読んでみてください。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1319

「写真表現の圧倒的な強さは、見てくれる人の中に眠っている感覚を呼び覚まして、震わすことができるんですよ。抽象化することなく、地面に足をつけたまま、具体を通してだれもが手触りのある普遍性を表現することができる…… 自分たちの中に眠っているものに、もう一度、バイブレーションを起こす。そういう意味で音楽にも似ているのかな」

インタビューに前後して、この記事の執筆のため、鬼海さんの手に入るほとんどの写真集と、著作を読みました。一人の作家の原点から、半世紀を経た現在までを追体験したことは、写真家としての自分にとっても貴重な経験でした。表現ということ、写真についてすごく考えさせられました。

急増するブータン人留学生 ――人手不足ニッポンの労働現場支える

「Yahoo!ニュース特集」で取材した記事と映像が公開されました。
映像に力を入れているので、ぜひドキュメンタリー映像もご覧ください!

急増するブータン人留学生 ――人手不足ニッポンの労働現場支える

「幸せの国」ブータンから来日し、労働する留学生が急増しています。受け入れる日本の食品工場や読売新聞の配達店、日本語学校などを半年かけて取材しました。

「外国人労働者」や「移民」というだけでは、顔の見えないただの情報や労働力として扱われてしまいがちなので、彼らが私たちと同じ人間であるということをいかに伝えていくか、難しいけどいろいろ試みています。こういうことこそ、写真や映像、文芸がやるべきことだと思って。

取材はドキュメンタリー監督の岸田 浩和さんと。VICE、Yahooと何本か一緒に取材して、2人で機動力を活かしながら記事、写真、映像を作るスタイルも板についてきました。

これからもいろいろ作る予定です。

写真家としての作品は、何本か数年単位のプロジェクトを撮っていますが、こうした比較的短期間のドキュメンタリー制作も、これから増やしていきたいと思っています。

「凍結保存」された中世の信仰――かくれキリシタンの島を歩く

一昨年から関わっている「Yahoo!ニュース特集」で、取材した記事と写真が公開されました。

「凍結保存」された中世の信仰――かくれキリシタンの島を歩く

かくれキリシタンとはいったい誰なのか?
400年続いてきた信仰の今を、長崎の平戸・生月島で取材してきました。

「数世紀を経て進化した現在のカトリック教会を通して見ると、それは不思議に映るかもしれません。しかし、そのような中世の信仰形態を、禁教時代を経てまるで凍結保存するように今日まで伝えてきたのが、かくれキリシタンなのです」

6月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産登録され、ますます、ひとり歩きしていると感じる「かくれキリシタン」という言葉。ほんとうはどんな信仰なのか、信者さんに話を聞きました。

僕の実家がある島からも、海の向こうに見える長崎の島々。
そこで、16世紀にポルトガルなど欧州から船できた宣教師によって伝えられた信仰が、現代までずっと保存されてきたことには、畏敬の念が湧きます。

ニッポン複雑紀行で撮影を担当しています

NPO法人「難民支援協会」が運営するWebマガジン、
ニッポン複雑紀行で写真を撮影しています。

オレはオレのことをオレの歌で証明。ベトナム難民2世ラッパーが歌う「オレの歌」を聞いてくれ

「日本人」とは何か?「ハーフ」たちの目に映る日本社会と人種差別の実際

二つの祖国を持つ親子。母と息子、それぞれにとっての「帰る場所」とは?

ニッポン複雑紀行は、2017年末から始まった
日本の移民文化・移民事情を伝えるWebメディア。
編集長の望月優大さんらと一緒に、取材を進めています。
これからまだまだたくさんの記事を出す予定。
望月さんは僕と同い年で、同じく移民や難民にフォーカスして
記事を書いたり活動をしている方です。

日本のリトル・ネパール〈阿佐ヶ谷〉

VICE JAPANで、僕がいま住んでいる東京・阿佐ケ谷の地元のネパール移民コミュニティを取材したドキュメンタリーが公開されました。
https://jp.vice.com/lifestyle/little-nepal-in-tokyo

ー 新宿駅から中央線で西へ10分。JR阿佐ヶ谷駅の周りにはいま、日本最大規模のネパール人コミュニティができつつある。駅の南北を通る商店街を少し歩けば、必ずネパール人とすれ違う。阿佐ヶ谷のコンビニでネパール人店員がいない店はないといっていい。この数年でカレー店が増え、いつの間にか複数のスパイスショップもできた。周辺のネパール人の数は、この3年間で2倍以上に増えている。2013年に阿佐ヶ谷駅前に開校した世界初のネパール人学校「エベレスト・インターナショナル・スクール」が、そのきっかけとなったのだ。ー

僕が北海道から上京し、阿佐ケ谷に住んで約8年。この間に阿佐ケ谷の町はさほど変わっていませんが、ネパール人を見かける機会が劇的に増えました。JR南口に世界発の〈ネパール人学校〉もでき、いまや阿佐ケ谷は〈リトル・ネパール〉。ネパール人学校の中はどうなっている?彼らと家族はどんな風に暮らしている?そんな疑問を素直に取材してみました。

20176月時点の在日ネパール人は74300人。10年間で約10倍に増えました。阿佐ケ谷の地元ではインド人が増えた??と思っている方も多いみたいですが、彼らのほとんどはネパールから来た移民です。インド人、パキスタン人、バングラ人、ネパール人と見かけは似ていますが、僕は昔南アジアのそれぞれの国を旅したことがあったので、彼らネパール人の顔や、穏やかな雰囲気でなんとなく違いがわかっていました。

そんな話を同じく近所に住むドキュメンタリー監督の岸田浩和 Hirokazu Kishida さんと飯を食べながらしている中で、企画が動き出しました。自分が住む町の足元で、暮らしに根ざした取材ができて嬉しいです。

印象的だったのは、カレー店やネパール学校、ネパール人の家庭と、どこに行ってもヒマラヤ山脈の絵が飾ってあったことです。僕にとっては長崎の海がそうであるように、彼らにとってはヒマラヤの雪山が原風景なんだなと思いました。

中古住宅、プレハブ — 日本の「モスク」とイスラム社会

Yahooニュース特集に記事を書きました。
https://news.yahoo.co.jp/feature/773

移民が増え、在日ムスリム人口が過去最高となる15万人になった今、日本にある「モスク」の数もついに100を超えました。ムスリムにとってモスクとはどういった存在なのか。その中で彼ら/彼女らはどのような時間を過ごしているのか、モスクを中心に営まれる日本のムスリムコミュニティの実態とは。そうしたことを取材しました。

いつもは撮影をしているYahooニュース特集ですが、今回は取材も執筆も撮影もぜんぶ自分で担当させて頂きました。6000文字の長文ですが、丁寧に取材して、力を入れて書きました。今まで日本のメディアに出ている在日ムスリム関連の記事の中では、かなり詳しく取材できている方ではないかと思います。
ぜひご一読ください。