写真展「見果てぬ海」札幌展 2021年7月20日-7月25日

札幌で3年ぶりとなる個展を開催することになりました。
私の故郷である長崎の海を約4年にわたって巡り撮影した新作です。
大学時代の6年間を過ごした第二の故郷、札幌で展示できることをとても楽しみにしています。

【ステートメント】
人生の半分を育った島から離れて暮らした。ちょうど三十歳を過ぎた頃だったろうか。ふと故郷の海のことをもっと知りたくなった。
 私は長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島の沖合に浮かぶ小さな島で育った。あたりの海域はリアス式の複雑に入り組んだ地形で、日本の中でもっとも離島が多い。そこは有人島が70あまり、無人島も含めると約600もの島々が点在する多島海だ。島の西の沖には、遠く五島列島が連なっている。幼い頃からその海の向こうを見続けてきた。

島々は大陸に近く、古くから様々な人間や文化、宗教が海を越えて交わってきた。仏教は中国からもたらされ、神社も各地に存在する。大航海時代には、ポルトガル人やスペイン人がこの地にキリスト教を伝えた。そして、弾圧を生き延びたかくれキリシタンたち。この海では今もそうした信仰が混在し、共生する。
 人々は信じるものにかかわらず、同じその海で魚や鯨を獲り、急峻な土地を耕してきた。その営みの積層の上に、今の私たちは在る。私は大人になったある日、はじめて目の前に広がる海を旅してみようと思った。
                                              ー田川基成


写真展「見果てぬ海」
期間: 2021年 7月20日(火) – 7月25日(日)
開廊: 10:30-18:00
※最終日16:00まで
会場: GALLERY ESSE ( 札幌市北区北9西3 9-1 ル・ノール北9条 1F ※モスバーガー北大正門前店隣) Googleマップ
主催:地域写真芸術振興協会
入場料:300円

会場では、昨秋に発売された写真集「見果てぬ海」もご覧いただけます。
期間中は在廊予定です。札幌の方々、ぜひご来場ください。

プロフィール
写真家 田川基成
1985年生まれ。長崎県の離島出身。
北海道大学農学部森林科学科卒業。

自身のルーツと、これまでに暮らしてきた土地や旅の経験を通し、移民と文化、土地と記憶、信仰などをテーマに作品を制作している。2018年、千葉県に暮らすイスラム教徒の移民家族の5年間を写した展示「ジャシム一家」(ニコンサロン)で第20回三木淳賞受賞。2020年秋、故郷・長崎の海を約4年にわたって巡り撮影した作品集『見果てぬ海』を赤々舎より上梓した。
motonaritagawa.com

受賞
2018  第20回三木淳賞
個展
2021  「見果てぬ海」コクラヤギャラリー (長崎市)
2021  「見果てぬ海」ニコンプラザ大阪
2020  「見果てぬ海」ニコンプラザ東京
2020   「Vernacular Churches」Alt_Medium (高田馬場、東京)
2018  「ジャシム一家」新宿/大阪ニコンサロン
2018  「ジャシム一家」札幌市教育文化会館 など
写真集
2020  『見果てぬ海』(赤々舎)

参考URL
「海」という視点でとらえた世界の縮図のような宗教世界 
写真家・田川基成
(アサヒカメラ AERA.dot)

迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶 (ニッポン複雑紀行)

写真展「見果てぬ海」artscapeレビュー (飯沢耕太郎氏)

展示内容は、昨年開催した個展「見果てぬ海」(東京/大阪ニコンプラザ)と、長崎のカトリック教会をテーマにした「Vernacular Churches」(Alt_Medium)を再構成した内容になる予定です。

「凍結保存」された中世の信仰――かくれキリシタンの島を歩く

一昨年から関わっている「Yahoo!ニュース特集」で、取材した記事と写真が公開されました。

「凍結保存」された中世の信仰――かくれキリシタンの島を歩く

かくれキリシタンとはいったい誰なのか?
400年続いてきた信仰の今を、長崎の平戸・生月島で取材してきました。

「数世紀を経て進化した現在のカトリック教会を通して見ると、それは不思議に映るかもしれません。しかし、そのような中世の信仰形態を、禁教時代を経てまるで凍結保存するように今日まで伝えてきたのが、かくれキリシタンなのです」

6月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産登録され、ますます、ひとり歩きしていると感じる「かくれキリシタン」という言葉。ほんとうはどんな信仰なのか、信者さんに話を聞きました。

僕の実家がある島からも、海の向こうに見える長崎の島々。
そこで、16世紀にポルトガルなど欧州から船できた宣教師によって伝えられた信仰が、現代までずっと保存されてきたことには、畏敬の念が湧きます。