南米の旅のおわりに①

ブエノスアイレス_5月広場

ブエノスアイレスの五月広場から見える欧風建築

ブエノスアイレスにいる。

今回の南米の旅で最後の街。
昨日、アメリカ大陸の最南端で世界最南端の街でもある、ウシュアイアから飛行機で一気に3200kmを北上して移動してきた。この一ヶ月は、チリとアルゼンチンのパタゴニア地方を巡ってきた。パタゴニアは昔からあこがれていて、どこまでも広がる大草原や、青い氷河、青と緑の間でそれぞれの色を持つ氷河湖群や、峻険な山々をめぐるトレッキングを何度も歩いた。パタゴニアは、西から東への強風が常に吹き付ける厳しい環境。天候は一日のうちにひょうが降ったり晴れたり虹が出たりして何度も変わる。パタゴニア南端の島、ティエラ•デル•フエゴ島では、マゼラン海峡を渡ったりビーグル水道を巡ったり、ペンギンをみたりした。最南端の街ウシュアイアは、冷たい風が海から吹きつける旅情のある港町で、旅の最後にはふさわしかった。

ブエノスアイレスに着き、泊まっているホテルから外に出て日曜日の露天でにぎわう公園へ向かう石畳の通りを歩くと、昨年の5月に、同じく南米随一の大都会であるサンパウロに降り立ったときのことを思いだした。ブエノスアイレスのセントロは、まるでパリのようでまったくヨーロッパの街に見えるが、露店や公園のにぎわい、ここで暮らしている人々の表情や路上でかかる音楽に合わせて踊る人の姿なんかは南米そのもので、欧州と南米の街のハイブリッドみたいで不思議な感じがする。

ウシュアイアで飛行機に乗ってからは、10ヶ月の南米の旅が終わってしまったと少し感傷的な気分になり、なんだかふわふわした幻の中を歩いているような感じだ。いつも新しい街に着いたときみたいに、朝から夕方まで一日中、早足であちこち歩いてまわる気分にはなれないので、ちょっと歩いてみただけでも十分に素敵なブエノスアイレスを、じっくりとみるのは次に南米に来たときにとっておこうと思う。

サンパウロでの熱狂のW杯開幕からはじまり、大好きになったブラジルで5ヶ月ほど過ごした後は、アマゾンから、経済危機まっただ中のベネズエラに入った。そこからコロンビアのカリブ海側に抜け、エクアドル、ペルー、ボリビアとアンデス山脈に沿って南下して、南北に細長い国チリに入り、ここからは何度もアルゼンチンとの国境を行ったり来たりしながら、パタゴニアを通って南米最南端の都市であるウシュアイアにたどり着いた。結果的に、今回の旅は南米をアルファベットの「C」のような形でめぐることになった。

南米大陸の北端から南端までは、直線距離にして約7400km。そのほとんどを約4ヶ月半かけてバスで移動してきた。南米はほんとうに広かった。この10ヶ月間、南米でいったい何万km、バスに乗り、どれだけの風景が流れていったのだろう。

南米に行きたかったのは、ずっと前からアンデス山脈やアマゾンやパタゴニアみたかったこととか、おそらく一生の間に一度、W杯が開催されるときにサッカーの国ブラジルにいたかったこととか、いろいろ他にも理由はあるけれど、アメリカやアングロ•サクソンの国ではなく、世界中から移民を集めて独自に発展してきたラテンアメリカの国々をみたかった。南米は、大航海時代に新大陸が欧州人に「発見」されてから、スペインやポルトガルなどを中心に多くの国からたくさんの人々が移住し、アフリカから黒人も奴隷として連れて来られた。そうして先住民の土地を侵略したり混ざり合ったりしながら独自の文化を醸成し、やがては植民地からそれぞれが国として独立していった歴史がある。  ②につづく…

 

 

 

 

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