南米の旅のおわりに②

常に吹き付ける強風により曲がったまま育った木(ウシュアイア, パタゴニア)

常に吹き付ける強風により曲がったまま育った木(ウシュアイア, パタゴニア)

少し前のことだが、3•11の震災が起きた2011年の春に、東京にあるイスラム教徒が集まるモスクを拠点とする団体が、被災地で炊き出しをしているということを聞き、彼らと一緒に福島県いわき市の被災地を何度か訪れ、その様子を写真に撮らせてもらった。

東北の被災地とイスラム教徒という、はじめは簡単には想像できなかった組み合わせだったが、被災者と外国出身のイスラム教徒がお互いに打ちとけあって交流をしている姿は、今後の日本社会が海外にルーツを持ち、文化も異なる人々をどう受け入れていくかという点においてとても示唆的であった。日本国内でも、そうした移民は少しづつ増えているからだ。

ぼくはその時がきっかけで本格的に写真を撮りはじめたのだが、その後、バングラデシュ出身で20年ほど日本に在住して働き、家族も母国から呼び寄せて日本に根を下ろそうとしているジャシムさんと知り合いになり、家族の日本での暮らしの様子を撮らせてもらっている。
(写真はこの文章の最後にリンクを張っています)

日本にはいま、200万人超 (ざっと総人口の1.5%くらい)の外国籍の人がいるとされている。そのうち、もちろん中国籍と韓国•北朝鮮籍の人が最も多く、それぞれ65万人と53万人ほど。その次にくるのが、意外にもブラジル人だった。2000年代に、一時は30万人を超えていたが、いまは多くの人が帰国して、17万人ほどに減っているよう。第4位は5位の米国をわずかに上回り、こちらも南米のペルーで5万人弱。実は日本には南米出身の人が多いのだ。

調べるまでほとんど知らなかったし、九州の田舎の島の出身で、北海道で学生時代を過ごしてから東京にきたぼくは、在日の南米の人と関わることも、知り合いになることも全くといっていいほどなかった。あえて言うとすれば、実家の近所に住む幼なじみのお父さんの兄弟の一人が、ブラジルに移民していたと伝え聞いていることくらいか。母の話では、その兄弟が一度ブラジルから島に帰ってきたことがあり、そのときはもう「ブラジル人のようになっていた」らしい。

南米には、ペルーをはじめに、ブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、コロンビアなどに数々の日本人が移民して行った歴史がある。いま日本にいるブラジルやペルー国籍の人の多くは、実はその日系移民たちの子孫だった。ブラジルのサンパウロには世界最大の日本人街リベルダーヂがあり、各地に日系社会が存在して、現在も日本語で新聞が発行されていたりする。数多くの日本人がある外国に移民したら、彼らはそこでどんな風に生活して、現地に溶け込んでゆき、その子孫はどのよう育って行くのだろうか。それを自分の目でみて、話を聞いてみたいという気持ちもあった。

【千葉県に住むバングラデシュ出身でイスラム教徒のジャシムさん家族】
http://www.motonaritagawa.com/Documentary/Living-in-Between/

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