富士山に登る

富士山の8合目

富士山8合目から下方の景色

 ぼくが初めて本格的なトレッキングを経験したのはネパールだった。2008年春。大学生だったぼくは二ヶ月の春休みを使いきり、チベットへ旅立った。二月の極寒の東チベットを周った後、ラサを経て車でヒマラヤを縦断し、カトマンズに入ったのが三月の上旬。そこからポカラへ移動し、標高4130mのアンナプルナベースキャンプ(BC)を目指した。BCに到達した後は、アンナプルナ連峰を囲む街道を時計まわりに巡り、計二週間歩き続けた。アンナプルナ、マチャプチャレ、ダウラギリ、ニルギリといった7000~8000m級の高峰は白く輝き続け、夜は星の海にのまれた。標高4000mほどのチベットに一ヶ月滞在したことで、高度順応が完璧に整い体調が良かったこともあり、それは忘れられない快適な旅となった。海に囲まれた島で育ち、北海道で川下りに夢中になっていた当時のぼくは、山と出会ってまた一つ新しい世界を知った。

 それから数年後。東京に引っ越してきて二年半が経った。すぐ近くに見える日本で一番高い山のことは気になってはいたが、ついぞ登る機会を得ず、二度の夏が過ぎた。三度目の夏こそはと思い立ち、今年は登山客が少なくなる閉山後の九月上旬を狙って登ってみることにした。近年は登山ブームもあって登山客も増え、頂上付近では渋滞が起きるほど混雑し、景観を乱すゴミも少なくないと聞いていたので、過剰に期待はしていなかった。ただ、やはり自分の足で歩き、自分の目で確かめてから判断したいと思った。

 9月16日、新宿発7時のバスでJR御殿場駅に向かった。9時15分着。渋滞でバスが遅れたため、須走口行きの接続バスはすでに出発してしまっていた。駅前にタクシー会社があり、同じくバスを逃した登山客と車をシェアして五合目の須走口に向かう。天気は晴れ。御殿場の空は、東京のそれより少し透明感のある青で広がっていた。富士山には笠雲がかかっており、頂上は見えない。道中おしゃべりな運転手が、富士山が噴火したらどうなるかとか、最近増えている外国人登山客の話などを教えてくれた。小一時間で標高2000mの登山口に到着すると、外気温がかなり下がっており、バックパックから上着を取り出して着る。しばらく体を慣らすために休み、11時過ぎに頂上に向けて出発した。

主に4つある登山道のうち、須走口を選んだのは、比較的人が少ないことと、植生が豊かで景色を楽しみながら登山できると聞いていたからだ。富士山の今年の山開きは7月1日で、閉山は8月31日。登山口にはすでに「積雪のため通行止め」との標識が立てられてあったが、登山客はかまわず先へ進む。はじめの一時間ほどは森の中を歩く。全身を動かしはじめると体が火照り、上着を脱いでTシャツ一枚になる。途中、登山道の脇に日当りのよい岩場が数カ所あり、休憩ついでに写真撮影などをした。岩場には火山らしくゴツゴツした岩が転がっている。頂上は霞でよく見えないが、上方の雲のはめまぐるしく動いており、稀に視界が開けて山頂付近まで見渡せることがあった。

富士山の雲海の上を歩く

雲海のさらに上を歩く登山者

出発して1時間15分で新六号目の山荘に到着。標高2450mとある。山荘の手前にポメラニアン二匹を連れた散歩客がいた。20分ほど休んで出発。歩くほどに気温が下がり、風も強く、しばしば小雨が降るので、登山前に買ったゴアテックスのレインコートの上着を着用。六合目を超えると登山者は少なく、数グループを追い抜いたり、追い抜かれたりして進む。登山道の植生は広葉樹の森から白樺の林へと移り、細くて背の低い針葉樹と灌木が茂る段階を経て、樹木は見あたらなくなる。最後は岩場にぽつぽつと雑草が生えるだけ。しかし、しばらく歩いていると再び樹木が現れたりするので、同じ標高でも日当りや風の強さで生育可能な植物の種類がちがうのだろう。さらに二時間ほどで七合目の山荘へ着いた。

七合目の標高は2920m。ここまで上がると、息を止めると少し肺が苦しくなる。以前チベットに行ったときは、このくらいの標高にある町で二、三日高度順応してから、さらに高い4000m以上の町へ向かったのを思い出す。休憩中寒いのでインナーをフリースに着替えた。15時過ぎに七合目を出て、約1時間半で本八合目に到着。八合目、本八合目とあってやや紛らわしい。標高3370mは完全に雲の上だ。ここで吉田口の登山ルートと合流するので、団体の登山客が突然増え、山小屋の周辺は混みあっていた。16時を過ぎると、空の色が少しづつ深みを帯びてきた。ひとまず今晩泊まる山小屋にチェックインし、テントの中より狭いのではないかと感じた、すし詰めのドミトリーに荷物を降ろす。すでに食事をとっている人もあったが、晩ご飯は夕日の撮影が終わってからにする。カメラと三脚を持ってすぐ外に出た。

富士山の雲海の日没

日没前、北側斜面の空

 気温はみるみるうちに下がった。トレッキングパンツに上はヒートテックの半袖、長袖シャツ、フリース、それにレインウェアの上下を着込み、手袋をはめフードを被ってもまだ寒い。空は刻一刻とその色を変えていくので、山小屋の周辺のいろいろな場所に三脚を立て、一時間ほどはひたすらシャッターを切った。山小屋の少し上部に登ると、眺めは良いがとたんに風が強くなり、体が冷えきる。太陽は山の反対側斜面に沈むので、山小屋の右方向(東方面)の雲の上には影富士が浮かび上がり、雲の上部は薄桃色に染まった。左方向(北方面)の空にはより深い青や、オレンジ色の夕焼けがみえた。日が完全に落ちると、前方にはいくつかの中規模の街の明かりが輝き、ずっと向こうには関東平野だろうか、光の海が広がっていた。

夜は18時過ぎにレトルトカレーとハンバーグの夕食を食べた。まだ寝るには早かったので、山小屋の玄関の休憩室に座り、同行した酒好きのRさんが持って来たウイスキーを飲み、Sさんのチーズをもらった。山で飲むウイスキーの美味しいこと。飲んでしばらくすると体が暖まる。チーズは標高とともに味も濃縮されたみたいで、雪印の安いチーズだったが感動的な味がした。20時に消灯されたので、仕方なくドミトリーに入る。寝袋に入ると体がまったく動かせないくらい狭く、寝心地が悪かった。明日の天気は崩れそうだったので心配。泊まった山小屋は団体客が多いらしく、従業員の対応がマニュアルっぽくて感じがよくない。七合目で休憩した小屋も雰囲気があまり好きではなかった。観光地も山も、客が多すぎると人がすれてしまうのは万国共通みたいだ。次にくるときは泊まる山小屋を吟味しよう。

 夜中は二時間おきに目が覚め、水を飲んでまた寝た。山頂へ向けて出発するために3時に起床したが、外は土砂降りで雷鳴が轟いていた。登頂できる可能性はかぎりなく低くなり、残念な気持ちで夜が明けるまで再び寝ることに。5時に起きて、パッキングをして玄関で待機。山小屋はこの日が最終営業日らしく、6時にはチェックインしなければならなかった。山小屋の大部分を占めていたツアー客は、悪天候のため順次下山するようだ。しかし、雨脚が弱くなっていたし、下山道が混んでいるので天気の様子を見て待つ。

富士山の山小屋からみえた朝日

山小屋からみえた朝日

しばらくすると、山頂付近の雲が晴れ、ところどころに青空がみえてきた。かと思うと、空は一瞬で霞に包まれたり、天候はめまぐるしく変わる。風は昨日よりはるかに強い。下から山頂を目指す登山客もちらほらといたので、山頂へ登ることを決める。バックパックにカバーをかけ、一眼レフカメラも防水カバーで覆って雨風対策。山小屋のすぐ上の斜面に短い虹がかかっていて奇麗だった。

6時15分出発。八合目から山頂までの道は、勾配がよりきつくなり険しくなった。時おりくる突風で背中のバックパックごと倒されそうになる。体調は良好で、体力的にも特に問題はなかった。30分弱で九合目に到達。以降は道が狭くなり、人とすれ違うのがやっと。傾斜は階段のようになり、ところどころ手を着いて登った。随所で息を上げ、苦しい表情を浮かべた登山者が立ち止まっている。ここまでくると、普段運動していない人や、体力があまりない人には少し厳しいのだろう。ジーンズに薄手のジャケット姿で、とても寒そうな顔をしての登っている中国人(もしかしたら台湾人)の団体がいて驚いた。頂上が近づくと、木製の鳥居が立ててあり、そこで登山客が記念撮影をしている。

富士山の虹

頂上の方角にみえた虹

 7時7分、登頂。標高3776m。天候が回復し、無事山頂までたどりつけたことに感謝。風は強いものの、空は晴れている。頂上には石造りで原始的な姿をした山小屋が立ち並び、奥の方に広い岩場が広がっている。そのさらに奥には深い噴火口があり、向こう側の斜面には観測所の建物が見える。登頂した登山客は笑顔になってカメラを取り出し、思い思いの場所で写真を撮っている。ぼくも岩場に三脚を立て、記念撮影をした。しばらくして、空が霞で覆われたかと思うと、霧雨が降り出した。すると、噴火口の底から岩場に向かって半円形の淡い色をした虹がかかった。急いで虹を写真におさめると、霞はすぐに晴れ、虹はあっという間に消えてしまった。 

頂上から登ってきた道を望むと、黒色で荒涼とした斜面には山小屋が点在し、ずっと下方には緑の森と、かすかに町が見渡せる。空気は冷たく張りつめ、高地特有の日差しは強い。あたりにあるものはすべて、低地よりもずっと鮮やかに色を発している。登頂できた達成感もあって、気分は自分でもおどろくほどに清々しい。ぼくは気持ちがふっと軽くなり、同じ感覚を以前にも感じたことがあること気づいた。チベットのどこかの町だっただろうか、あるいはインドのダージリンか。一瞬、心が開放される。ぼくはいま普段暮らしている街や下界からはずっと遠いところにいて、しかしそれは世界のどこかに確実に存在している場所だ。旅を続けていると、そんなことに思いを馳せ、全てがつながっているように感じる瞬間がごく稀に、空から降るようにやってくる。ぼくは富士山の山頂で、いつも暮らしている街から数時間のところにある山の上で、そんな気持ちになれたことが嬉しくて仕方なかった。

富士山の頂上

富士山の頂上から

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