東北関東大震災-その1 石巻市と女川町の状況

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(ビルの上に突き刺さったままの車。-女川町)

4月22日~28日の日程で宮城県の石巻市に行ってきた。 新宿から高速バスで仙台まで7時間。仙台から石巻まではバスで2時間ほど。 石巻市北部にある石巻専修大学の校庭がボランティアセンターの敷地として利用されており、 そこにテントと食料を持参して滞在した。期間中は基本的に毎日ボランティアに参加していたが、雨天時や作業が早く終わり時間ができた際には市内を歩いてまわり、10km離れた女川町にも足をのばした。

バスが石巻市の中心部に近づくにつれ、道路沿いには瓦礫と、廃棄された無数の家財道具が積み上げられた光景が広がる。石巻駅の前でバスから降りると、強烈な潮の匂いが鼻を突き、その瞬間「津波」という言葉が自分の中で一気に現実のものとなった。

3月11日の震災直後から、テレビ・新聞・雑誌・Webニュース・Twitter・Youtubeなどあらゆるメディアを使い、地震・津波の被害および福島の原発の情報を目を酷使して視力が落ちてしまうほど集めていた。しかし、どうしても自分の目で、現地で何が起こっているのかを確認したかったので、今回石巻市へ行くことを決めた。そして現地では、想像を超える被害の状況と復興の様子に驚き、また疑問を覚えることになる。

それまで一見平和そうに続いていた日常が、3・11を境に大きく変質してしまった。この非常事態の中では、家族・友情・郷土愛・国家・メディア・政治・外交・思想など、ありとあらゆる人間と物事の本質が露呈したのではないか。それに加えて被災地で見たこと聞いたこと。まだ言葉にならない気持ちがたくさんあるが、これを言語化すること、つまりこの問題について語り、考えることこそが大切なのだと思う。

以下、数回に分けて被災地の状況やボランティアの様子をアップします。

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(石巻の河口付近。奥に見える橋の向こうから津波が押し寄せてきた。宮城ではちょうど桜が満開だった。-石巻市)

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(女川町の市街地。女川はリアス式で湾の奥が急に狭くなる地形のため、津波が20mを超える激流となって押し寄せた。-女川町)

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(水流で基礎部分から倒されたビル。-女川町)

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(女川町の市街地の瓦礫の中で。-女川町)

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(津波が駆け上がった斜面の中腹。-女川町)

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(津波で一階の柱が折れ、崩れた商店家屋-石巻市)

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(浸水して使い物にならなくなり路上に廃棄された畳。-石巻市)

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(一階が浸水した家屋。-石巻市)

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(津波で運ばれてきて道に広がったヘドロは、土嚢に入れられて道路の脇に積み上げられる。浸水した地域はヘドロが放つ潮の匂いと、ホコリが混じった独特の臭気に包まれている。-石巻市)

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(津波以来放置されたままの線路。-石巻市)

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(市内のいたる所で目にする光景。-石巻市)

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(たとえ家屋が破壊されなくとも、一度浸水すればほとんどすべての生活用具がダメになってしまう。-石巻市)

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(石巻駅近くの商店街。-石巻市)

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(市内のいたるところで、津波で流れ付いた瓦礫と家屋から運びだされた家財道具が無造作に積み上げられている。これを重機でトラックに積載し、急造された埋め立て処分場まで運ぶ。狭い路地には積載量が少ない2tトラックしか入れない。津波のあとそのままになっている家屋もまだまだあり、廃棄物の処分と清掃がいつまでに終わるのかめどは立っていない。-石巻市)

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