井津建郎 写真展「ブータン 内なる聖地」

井津建郎 写真展「ブータン 内なる聖地」
を東京•新宿のコニカミノルタプラザで観てきました。

スクリーンショット 2016-05-13 11.09.18

http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2016may/bhutan/index.html

2002年から2007年にかけて、ヒマラヤの国ブータンで撮影された人々のポートレートと、風景写真。

ギャラリーの白い壁に貼られた大きなモノクロプリントの目の前に立つと、意識はそのまま吸い込まれるように彼の地へと導かれました。

カメラのずっと奥にある世界を見つめるような、穏やかで透き通ったなまなざし。
ヒマラヤに吹く風、降りそそぐ光。
あまりに美しい。
圧巻されて背筋が震え、しばらく茫然として立ち尽くしました。

写真家の井津健郎さんは、一式100キロにもなるという14×20インチの特製超大型カメラをポーターと一緒に担いでブータン各地を歩き周り、6年の歳月をかけて撮影したそうです。
被写体への敬意に満ちた数々の作品。

これが「写真」原点なのだと感じました。

写真のプリントをあまりみたことがない方も、これはPCの画面では絶対わからないので、ぜひ実物のプリントをみてみてください。
展示は〜5月23日(月)15:00まで

コニカミノルタプラザは新宿駅東口にあるギャラリーです。
フルーツパーラー高野ビルの4階です。

Toronto Star紙、「日本の認知症」連載開始

カナダの日刊紙、「トロント・スター」と6月に2週間ほど一緒に取材した「日本の認知症」についての長期連載がはじまりました。

取材するまで認知症のことはあまり知りませんでした。現在日本に約500万人の患者がいて、2025年には700万人を超え、65歳以上人口の5人に1人が認知症患者となると予想されています。かなり深刻な問題です。

認知症のある人にどう接すればいいのか、家族にどういった問題が起こるのか、などなど、知らないことばかりで、取材していくうちにかなり勉強になりました。

http://www.thestar.com/news/insight/2015/10/05/meet-paro-a-furry-friend-to-dementia-patients.html

「日本のイスラム移民社会」について

「日本のイスラム移民社会」はすごく大きいテーマですが、2011年の東日本大震災の後、東北の被災地を継続的に支援していた在日ムスリム(イスラム教徒)たちと出会ったことがきっかけで取材をはじめました。

IMG_1796-Edit

それ以前には、学生時代に西はボスニア・ヘルツェゴビナのサライェヴォ、東はバングラデシュやミャンマーまで、イスラム圏を旅してから帰国し、日本に住んでいるムスリムがどのように暮らしているのか、ずっと興味がありました。

日本に住んでいる彼らムスリムと付き合ってみると、日本社会に溶け込んでいる部分も、独自のムスリム・コミュニティを築いている面も、両方あり、当たり前ですが、なかなか一概に言えないものだと実感しました。

東京都内や千葉・埼玉などにある、雑居ビルの一部だったり、ビルごと買い取ってあったり、あるいはプレハブだったりする日本のモスク(礼拝所)に通ってきました。特に週末になると、近隣に住むムスリムがそこへたくさん集まって礼拝し、一緒に食事を食べたり、子供に勉強やアラビア語を教えたりしています。

モスクの部屋で聖典クルアーンを一生懸命に読み上げるムスリムや、モスクのイマームや世話人に家族や生活の悩み相談をする姿は、自分が子供の頃、故郷にある浄土真宗東本願寺派のお寺に通っていた人々の姿を思い出し、懐かしさすら覚えました。彫りの深い顔に、立派な髭をたくわえたりしていて、一見とてもイカつい人もいますが、仲良くなるととても良くしてくれるのは、海外でイスラム圏を旅したときと全く同じです。

また、たとえばアラビア半島出身のムスリムと、バングラデシュのムスリムでは、イスラムのとらえかた、文化、生活習慣や性格まで、幅がとてもあり、一口にイスラムといっても、実はすごく多様なものだということが分かってきました。一方で、ムスリム同士はただイスラムを信じているというだけで、すぐ打ち解けて助け合ったりする面もあります。

2001年の9・11事件の後は、やはり日本でも差別や偏見が増え、不快な思いをすることもたまにあると彼らからよく聞きます。また、日本にあるモスクと在日ムスリムはなかりの割合で公安に監視されていて、カメラを持ってモスクを訪ねると、はじめは怪訝な顔をされることもあります。

一方で、日本では宗教に対する寛容度が高いためか、東北の被災地でそうであったように、意外に外から来たムスリムとネイティブの日本人が打ち解けて仲良くなってしまう面もあるように感じます。欧米より日本の方が暮らしやすいと言うムスリムも少なくないです。ただ、日本では子供にイスラムを教えられる学校が教育施設がないところが、ネックになっているようです。

近年、欧州ではムスリムと現地社会の軋轢が増し、またイスラム圏から難民が大挙して押し寄せるという状況になっています。日本では、それほど深刻な問題はまだ起きていません。イスラムも含めて、宗教や文化、ルーツを異にする人々が、欧米の先進国とはまた違った形で社会の中で共存できる可能性もあるような気もします。

日本にはすでに数百カ所のモスクがあって、その数は増え続けており、ムスリムの数も少しづつ増えています。ただその存在や、彼らが何を信じて、どのように生きているのか、まだあまり知られていないと感じているので、彼らのところに通って写真を撮ってきました。

また、日本でも、これから労働力を増やすために大量に移民を受け入れる必要があるという人もいますが、あまりに急激に(労働力として、政策的に、意図的に)移民を増やすのは、いろいろな面で準備が間に合わず、問題があると個人的には感じています。

上野彦馬賞2015、日本写真芸術学会奨励賞を受賞しました

2011年から取材している「日本のイスラム移民社会」の写真5枚が、今年の上野彦馬賞の日本写真芸術学会奨励賞に選ばれました。以下のギャラリーで写真が展示されるようです。

ueno_2015_001

九州産業大学美術館     10月31日(土)~11月14日(土)

東京芸術劇場ギャラリー   12月4日(金)~12月13日(日)

北海道東川町文化ギャラリー 1月7日(木)~28日(木)

My photo story of ”Islamic society in Japan” which I followed since 2011, has received this year’s Photo Art Society of Japan – Encouragement Award, of Ueno Hikoma Award. Going to exhibit in Kyushu Sangyo University Museum 10/31〜11/14
Tokyo Metropolitan Teatre 12/4〜12/13
Hokkaido Higashikawa Culture garally 1/7〜1/28

http://mainichi.jp/select/news/20150929k0000m040035000c.html

東京に戻ってきた

いま東京に戻ってきた。
先週末にラトビアから成田空港に帰国して、また成田から九州へ飛んだ。長崎県の故郷の島で2年ぶりのお盆を過ごし、再び東京へ。今朝の8時20分に実家を出て、東京・阿佐ヶ谷のアパートに着いたのが夜の8時20分。船、車、バス、飛行機、電車、地下鉄と、半日で現代文明が誇る交通機関を駆使して首都へたどり着く。北欧ラトビアを出て日本に着くまでが同じ12時間くらいだったので、遠いのか近いのかもうなんだかよくわからない。乗り物が好きで移動がそれほど苦にならない体質でよかったと思う。

長崎から帰省するたびに強く感じるようになったけど、東京とは言葉も文化も生活も人の顔も性格も風景も建物もなにからなにまで違いすぎて、ここはほんとうに同じ国なのかと思う。地球が丸いことが少しだけわかるほど広い海と、集落が緑に飲まれそうになるくらい照葉樹が力強く茂ったリアス式海岸の山々から、東京へ飛んで、夜の羽田上空から北東の方角に広がる光の海を眺めるとき、仕事帰りのスーツを着たサラリーマンやきれいに着飾った女性がたくさん同乗する中央線に乗って、車窓から高層ビルを眺めながら自宅方面へ向かうときはいつも、海外の旅から日本に帰ってきたときとほとんど同じ気持ちになる。

ISSPが終了

昨日でInternational Summer School of Photographyの全日程が終了。いまヘルシンキ空港でこれから日本に帰ります。
毎日朝から晩まで撮影して編集してみんなでレビューして作品を作って、夜は遅くまで酒を飲んでいろんな人と話してと超忙しかったけど、ラトビアで写真に対して新しい世界が開けた気がしています。本気で写真に取り組んでいる講師の写真家たちや、生徒の写真家の一言一言はとても張りつめていて、毎回刺激と新しい視点や発想をもらいました。いろんな国に写真家の友だちができたのもすごく大きかった。この10日間は濃密すぎたので、これから帰国して消化していくのに少し時間がかかりそうです。

追記:東川町に提出したISSP参加のレポートをブログで日記形式でそのまま8月1日から転載しました。

ISSP参加 8月11日 11日目

きょうは18時からリガ旧市街でマグナムのアレッサンドラ・サンギネッティ、ジム・ゴールドバーグによるアーティストトークと、その後にISSP参加者のファイナルパーティがある。昼間は時間があったので、南米人とイタリア人たちと一緒に自転車をレンタルし、リガ市内を走って周った。旧市街から川を渡って空港に向かう方向にある地区は、緑の森の中に旧ソ連時代の古いレンガ造のアパートが立ち並んでいる。建物と建物の間にある、木漏れ日の差し込む森の中では、女性が木にロープを張って洗濯物を干していたりして、都会とも田舎とも言い切れない微妙な佇まいがとても美しかった。

最後のパーティーには全生徒の6割くらいが参加しているようだった。ほとんどの人が、明日、ラトビアを後にする。この10日間でとても仲良くなり、すぐに別れが訪れるのはとても寂しい。なんだか高校生の夏合宿か、どこかの国に長く留学して帰る前夜のような気持ち。どちらも行ったことはないけれど。酔ったテンションもあり、みなで踊り、何度もハグをして別れを惜しむ。ほんとうに寂しい気持ちになる。でもいまはFacebookやメールでいつでもつながれる時代なので、今後の人生でまた会う機会のある人も多いだろう。世界各地に写真をやっている仲間ができたことは、かけがえのない財産となった。

パーティーが終わる深夜、気がつけば参加者とスタッフ、講師との間でいくつものカップルができていて、手をつないでつぎつぎと夜の街へ消えて行った。ISSPでカップルがたくさんできるとは聞いていたが、欧州の人はあの忙しい日程の中で、なかなかちゃっかりとしているものだと思う。

ISSP参加 8月10日 10日目

きょうは終日とくにイベントもないのでリガ市内を散歩してゆっくりと過ごす。久々に平穏な一日。夕方から、リガ在住の日本人写真家で、ISSPの経験者として今年はスタッフのサポートをしていた小池浩央さんと、他の日本人参加者3名で、郊外にある旧ソ連時代から残る食堂へ夕食を食べに行き、近くの森林公園を散歩した。ずっと英語ばかり使っていたので、久々に日本語を存分に話せてほっとした。夜はまたバーに集まって、リガに残っている参加者同士で飲む。ラトビアにきてから一体何リットルのビールを飲んだだろうか。体重は確実に数キロ増えている。

 

ISSP参加 8月9日 9日目

きょうはクルディガで過ごす最終日。きょうだけ朝食は遅めの10時からとなっている。ゆっくり朝食をとったあとは、12時から、芝生の上にみなで車座になり、ポートフォリオレビューワーとして参加しているYETマガジンのエディター、パウラが中心となって写真の将来や、ワークショップを行なうことの意義について講師と生徒が話し合った。ISSPはどの講師にも生徒にもおおむねとても好評だったよう。

「写真の世界ではなぜこうしたワークショップという形式が盛んなのだろうか」(パウラ)という問いかけからはじまり、「写真学校で写真だけ勉強しても、ほとんどの学生は卒業後に語るべきことがない」(ニコ・バウムガーテン)といった発言や、「写真は世界のことで(Photography is about the world)、つまりは自分の周りの世界とどう関わるのかということ」「写真のエディットのプロセスの多くは隠されているので、それを生徒と講師がシェアして、何を選んで何を選ばなかったのかを見られるのはとてもよい経験」(アナ・フォックス)、ある参加者からの「ワークショップの限られた時間の中で、わざわざ時間のかかる展示をする必要があるのか」という声に対しては、「クルディガとペルチのコミュニティの人々がドアを開いて写真を撮らせてくれたので、展示をしてお返しをするのは我々の責任」(ジム・ゴールドバーグ)といった意見もあった。

僕としては、クルディガのような自然あふれる環境の中で、約10日間、写真だけに集中できるワークショップはとても素晴らしい機会だったと思う。世界中から、人生をかけて真剣に写真に取り組み、これからもっと先へ進んで行こうとしているハイレベルな写真家たちが集まり、約10日間、優秀な講師とともに非常に密度の高いスケジュールでワークショップを行なえる機会は本当に貴重だ。ISSPは同じ写真家が3回まで参加できるようになっていて、2度目の人も3度目の人もけっこうな数がいたのは十分に納得できる。

午後は教室でコースごとの最後のミーティング。アレッサンドラから修了証書が手渡され、生徒が感想を述べる。アレッサンドラから写真に対する自由をもらったと言う生徒が多く、僕もまったく同意した。さらに、クルディガという小さな街の小さなコミュニティの中だけで、それぞれに、これだけ語るべきストーリーがあったという事実は感動的ですらあった。写真は物をどう見るかということ、まなざしなので、自分の物の見方次第ではいくらでも撮るべきものがあるという大切なことを教えられた。今回のワークショップを受けたことで、自分の写真への理解が大きく進んだ気がしている。ワークショップで学んだすべてのことを消化するにはもっと時間がかかりそうだ。

教室を離れた後、お城の前の芝生の上で最後のピクニックをして、18時のバスでリガへ戻る。車でクルディガまできた参加者もいて、ここでお別れとなる人も少なくなく、お互いにハグをしてお別れする。みな疲れ果ててバスの中ではほとんど爆睡していた。リガに着き、きょうはさすがにみんな飲まないかと思っていたら、当然のように今晩も皆で集まることになり、チョムスキーといバーへ。昨晩まったく寝ていない人たちもいて、みなの体力にはほんとうに驚かされる。

ISSP_ラトビア_写真家12

!SSP参加 8月8日 8日目

今日は朝からクルディガで展示の設営。アレッサンドラと数人で車に乗って展示が行なわれるアートホールへ向かう。アートホールの1階と2階に分けて、6つのグループの展示設営が行なわれた。Narrative Portraitのグループは、1階の壁を使って展示。僕は、写真展は小さなお店で一度行なった経験しかなく、大規模な展示の設営、インスタレーションなど、初めてのことづくしでとても勉強になる。参加者それぞれの写真やストーリーに応じて展示場所をおおまかに決め、さらに隣の写真との相性、写真の向き、高さなどを考慮した上で場所を決定して行く作業はなかなかエキサイティングなものだった。ここでもアレッサンドラや他の参加者が写真をどのように扱うのかをよく見て、できるだけ多くのことを学ぼうとする。展示はそれぞれこだわりが強く、なかなか予定通りに進まず。11時過ぎから始め、すべてが整ったのは17時だった。それから急いでタクシーをシェアしてペルチの宿舎に戻り、シャワーを浴びて夕食。19時過ぎに写真展の会場へ戻る。19時半から写真展のオープニングパーティと、その後はそれぞれの展示をじっくりと見て回る時間。展示、インスタレーション、ダミーブックなど、1週間で作ったとは思えないクオリティの作品ばかりだった。同じ場所で同じような生活をしていても、写真家によって見る世界があまりに違ってくることに驚く。

ISSP_ラトビア_写真家10

多くの生徒は外で飲みはじめていて、22時からは少し離れたところにある公園の野外スクリーンで、参加者全員の作品のスライドショーが約1時間にわたって流された。観るひとたちは公園の斜面の芝生の上に座ってゆっくりとスクリーンを眺める。これはなかなか素敵なイベントだった。上映がおわったあとはみんなでバスに乗って宿舎へ帰る。夜中から明け方まではお城の入り口付近でエンディングパーティー。ホールにはDJも呼ばれ、みな無事にワークショップが終わった開放感からガンガンと酒を飲み、踊っていた。僕は3時頃部屋にもどる。次の日の朝人にきいたら、明け方4時半頃にお城の前で大きな花火が上がったそうだ。

ISSP_ラトビア_写真家11