被災地で支援を続けるイスラム教徒たち

2011年6月13日に投稿したブログ(旧ブログより移行)

IMG_1179

(被災者のおばあさんに声をかけるパキスタン人のラジャさん)

日本に住むムスリム(イスラム教徒)たちが震災の発生以来、被災地で支援を続けている。活動しているのは日本イスラム文化センターの会員達で、東京都内にある礼拝施設、マスジド大塚を拠点として被災地へ支援物資とボランティアスタッフを送り、現在も現地で炊き出しを行っている

3月11日の地震発生後すぐ、日本イスラーム文化センターの世話役であるパキスタン出身のハールーンさんらは、自分たちが日本の被災地のためにできることはないかと考え、東京から被災地に物資を送ることを決めた。翌3月12日にはトルコから5名の支援部隊も到着、2日後の13日には東京で調達したカップラーメン150箱や手作りのおにぎり550個などをトラックに積み込んで宮城県仙台市へ届けた。

「この大震災は我々ムスリムにとってジハードです。ジハードというと聖戦、戦争という意味にとらえられがちですが、本来のジハードとは努力、困難な状況に立ち向かうという意味。まさにこの災難に対して立ち向かい、協力して助け合うことこそが我々イスラム教徒にとっての義務なのです。我々は外国人で、震災直後は現地の状況も分からず勇気が必要でしたが、当然のことをしているという意識しかありません。」とハールーンさんは語る。

ハールーンさんらは震災以来、3~4日置きに東京から被災地に物資を送り、避難所で炊き出しを行ってきた。当初は宮城県を中心に仙台市、気仙沼市、南三陸町など被害が特に深刻だった地区を訪れていたが、現在は福島県いわき市で毎日炊き出しを行っている。

IMG_0862
(この日はいわき市平工業高校で被災者に100名分の焼そばとサラダ、ジュースを届けた。写真中央はパキスタン出身のムハンマド・イスマイールさん)

今回は5月21日から23日まで2泊3日の日程でボランティアに参加させてもらった。21日の朝東京を出発し、車に物資を積み込んで福島県いわき市の泉駅近くにある「いわきモスク」に向かった。モスクとはイスラム今日の礼拝施設のこと。日本在住のイスラム教徒は年々増加しており、現在日本には大小含めて400近くのモスクがあるそうだ。いわき市ではボランティアスタッフたちがこのいわきモスクに泊まり込んで毎日炊き出しを行っている。

現地には常時2名のスタッフが駐在し、東京から参加するメンバーも含めて3人~8人ほどの体制で、毎日いわき市内の避難所にあたたかいごはんを届けている。この期間中に常駐していたのはパキスタン西部出身のムハンマド・イスマイールさんとインドのカルカッタ出身のライマットさん。ムハンマド・イスマイールさんは来日25年で、建設現場などで働いていたが現在は病気にかかってきつい労働ができなくなり、日本人の奥さんと東京に所帯を持って療養生活をしている。ライマットさんは1年ほど前に来日し、都内のインド料理店で働いていたが震災後に退職し、いわき市へボランティアにやってきた。

なぜボランティアにやってきたのかという僕の質問に対して、「これはイスラム教徒として当たり前のこと。困っている人に対して善い行いをすればアッラーが喜んでくれる。みんながやっているので私も手伝いにきた。」とムハンマド・イスマイールさんは語り、彼らは毎日淡々と仕事をこなしていた。

外国からやってきた人たちが、それもイスラム教徒が被災地で支援を行っていると聞いて、はじめはうまく行っているのか少し心配だった。しかし実際に避難所に行ってみると、彼らは被災者に積極的に声をかけ、優しく気を遣いながらおいしいカレーや焼そばを毎日配っていた。

ある被災者の女性は「頻繁に炊き出しにきてもらって本当に感謝している。カレーなど普段は食べられないものが出てくるのが嬉しい。これまで出されたものはなんでもおいしかった。」と話してくれた。

イスラム教というと、私たち日本人は(他の多くの国でもそうだが)遠く離れた国の宗教で、戦争、テロなど、なんとなく良くないイメージを持ちがちだ。立派な顎ヒゲや彫りの深い顔など、ムスリムには外見上も威圧感がある人が多い。しかし実際は、ほとんどのムスリムは他の人たちと同じように善良で、みなと同じように普通に暮らしている。それどころかイスラム教徒は、知らない人に対してもまるで自分のことのようにとても親切に接することが多い。

僕は学生のころ旅したトルコやイラン、パキスタン、バングラデシュといったイスラム国で、彼らにどれだけ親切にしてもらったか、思い出したらきりがないほどだ。あるときは道を聞くとバスの発着所まで延々と一緒に歩いてくれ、チケットまで買ってくれたり、あるときはふらりと街を歩いていると、家に呼ばれて食事をごちそうになり、寝る部屋まで用意してもらったり。僕がイスラム教徒ではなくてもそれは関係なく、僕が日本人だから特別にそうしているわけでもなく、困難な状況にある人に対して親切にするのは当たり前だと言って、彼らはいつも世話を焼いてくれる。

今回いわき市で、イスラムの教えに従って、日本人のために毎日ただ当たり前のように調理をして避難所に運び、食事を配る彼らの姿を見て、宗教というものの存在を考えずにはいられなかった。日本人は宗教と聞くとすぐ身構え、無宗教であることをことさらに強調する人が多い。しかしこのような災難の時に、信仰があることによって、人を助けたり、救われる人がいるのもまた事実だ。

イスラム教が正しいとか、人は信仰を持つべきだとか、そういったことを僕は言いたいわけではない。ただ世界のどこかには、神を信じたり、信仰を持って祈りを捧げる人たちがいて、それによって救われる人も存在するということ。日本人の被災者を助けるために、寄付を募って資金を集め、フクシマまで訪れ、毎日スーパーマーケットに通って慣れない日本の食材を仕入れ、炊き出しをしてくれる人たちが確かに存在しているということだ。

IMG_0754
(5月21日に東京を出発したメンバー、中央左がハールーンさん)

IMG_1040
(毎日いわき市のスーパーで買い出しをする)

IMG_0762
(車から食料を降ろすボランティアスタッフ)

IMG_0834
(はじめて作る焼そばを日本人の口に合うように味付けする)

IMG_1141
(食料を避難所に届けるインド出身のライマットさん)

IMG_0911
(いわきモスクの正面より。奥のプレハブが礼拝施設になっている)

IMG_0780
(仕事の合間に食事をするボランティアスタッフたち)

IMG_1606

(ボランティア中も1日5回の礼拝は欠かさない)

コメントを残す

Required fields are marked *.


CAPTCHA