イスラム教徒の被災地支援と日本社会の可能性

2011年6月13日に投稿したブログ(旧ブログより移行)

被災地で炊き出しするイスラム教徒

道の駅よつくら港でカレーを炊き出しするムスリムたち(2011年6月4日, 福島県いわき市)

先日のブログ 被災地で支援を続けるイスラム教徒たち でも紹介したが、東京の大塚モスクを中心とするムスリムたちが震災直後から被災地の支援を続けている。彼らは地震の2日後にはトラックに支援物資を積み込んで外国人だけで東北へ向かい、それ以来現地に常駐してずっと炊き出しや物資の配給を行っているのだ。

僕はそんな彼らムスリムの被災地支援活動に同行させてもらって、計1週間ほど彼らと生活をともにして、避難所を回った。外国人を、それも立派な髭をたくわえて独特の風貌のをしたイスラム教徒たちの活動を、日本人、それも外国人や異文化との接触が少ないと思われる東北の地方都市の人々が、どのように受け入れているのかということにとても興味があったからだ。

しかし避難所では、どこに行っても当たり前のように彼らの活動が受け入れられていて、その違和感のなさに拍子抜けしたと同時に、日本人って外国の人にこれほどオープンでフランクになれるんだっけ?と、戸惑いすら感じた。僕はこれまでに、少なくない数の在日外国人や日本滞在経験者から、日本人の偏見や、日本のコミュニティの閉鎖性について聞いていたので、なおさらそう感じたのだが、被災地に溶け込んだ彼らの姿を見て、余計な心配をしていたのは自分だけで、偏見を抱いていたのも自分ではなかったか、などと反省してしまうほど彼らの活動は現地に馴染んだものだった。

災害ユートピアという言葉があるそうで、それは地震や洪水などの大災害の後、被災者や被災者と救援者の間に一時的だがオープンで相互扶助的な理想の共同体が生まれるという事実を指す言葉だそうだ。僕がムスリムたちについて行って福島の被災地で見たそれは、やはり災害ユートピアなのかもしれないと思いつつ、今後ますます国際化が進み労働人口が減り続ける日本社会において、彼ら外国人をどのように受け入れるかという問題にとってとても示唆的だとも感じた。少なくとも、ある条件さえ整えば、日本人と外国人(あるいは移民)がお互いに大切にするものをしっかりと守りつつ、問題なく共生できる社会の実現の可能性を感じたのだ。

被災地に布団を寄付するイスラム教徒

日本イスラーム文化協会からいわき市に布団セット200組が寄付された(福島県いわき市,2011年6月5日)

日本人は「場」を共有する人間同士で親密な関係を築きやすいといわれている。ユダヤ人や中国人は血族であることを重要視し、イギリスなどヨーロッパ北部の国は階級、イタリア・スペインや南米などラテン系の国では家族のつながりが非常に強いのだが、日本では共通の時間をともに過ごすことが親密な関係を作る上で重要になるという説のことだ。

確かに日本人は階級や貧富の差、血のつながりなどとは関係なく、労働や教育などの「場」を共有する人間同士が親密になってなることが多いように感じる。従って、日本社会に外国人や移民を受け入れる上で、鍵となるのは日本のネイティブと外国からのニューカマーの間に「場」をいかにつくるかだと前々から考えていた。

そして、もう一つ強調したいのが「言葉」の問題だ。日本は四方を海に囲まれた島国で、陸の国境を持たない。もし陸路で隣国とつながっていれば、大昔から貿易のために多くの商人や物資が国境を行き来して、かなりの数の外国出身者や移民が国内で生活をしているはずだ。これは他の大多数の国にとっては当然のことで、地平線の向こうには自分たちと言葉や文化を異にする民族が住んでいるという意識が広く社会に共有され、商売人や学生はチャンスを掴むために外国語の習得の必要性を強烈に動機付けされている。庶民や労働者の間でも、言語を異にする存在に日常的に慣れているので、カタコトの第二、第三言語を覚えようとする意識が働く。

しかし日本では、島国であることに加えて長く続いた鎖国の影響もあってか、国民の外国語習得のモチベーションが非常に低く、このグローバル化の時代になってさえ英語を話す人を探すのにも一苦労する状態だ。外国語へのアレルギーが非常に強い日本人は、日本語が全くできない外国人に対しては強い抵抗を感じ、なかなか心を開こうとしない。

一方で、日本人は日本語の特殊性を誇りに思う傾向が非常に強く、日本語がカタコトでもしゃべれる外国人に対しては非常に親切で、親身になって世話をするようになる。実際、日本で生活している外国人で、日本社会に適応し楽しく生活している者と、日本に馴染めずにフラストレーションを溜め込んでいる者を観察して見ると、前者は必ずと言っていいほど日本語を学習してそれを積極的に使っており、後者は日本語がほとんどできないことが多い。

被災者と握手するイスラム教徒

被災者と握手をする日本イスラーム文化センター局長のアキールさん(福島県いわき市,2011年6月5日)

以上のことから、日本人と外国人が日本社会の中で共生するには「場」の共有と、「言葉」つまりは日本語で会話できることが鍵になると僕は考えていた。 そして今回、東北で被災地支援をしているムスリムたちは、この両方の条件をクリアしていたのだ。災害という非日常であることは十分考慮に入れたとしても、毎日避難所で炊き出しをして被災者とふれあい、役所や学校の担当者とも話し合いを繰り返している彼らは、確かに地元の人たちと「場」を共有している。

さらにムスリムたちは、日本在住が長く驚くほど流暢な日本語を話す者を中心に、日本人に日本語で積極的に声をかけ、自らコミュニケーションをとろうと努力していた。そんな彼らの姿勢は被災地で極めて自然に受け入れられ、宗教や外見が日本人とはかけ離れてはいるが、少しの違和感もなく長期の支援が実現されている。それどころか、ムスリムが被災者や学校の先生と非常に親密な友人のようになっている姿や、彼らが被災者にとても感謝されている光景を何度も目にした。

また、残念なことに世界の多くの国でマイナスのイメージを持たれてしまっている「イスラム教徒」という記号も、そこでは全く意味をなしてないようであった。これは現在の日本が「無宗教」に近く、寛容な自然宗教の下地もあるので、イスラムに対する宗教的な偏見が比較的少ないことも影響しているのかもしれない。

いずれにせよ、東北の地方都市で日本人と外国出身のイスラム教徒が親密な信頼関係を築いている光景は、日本という国のかたちや、日本社会の将来の姿、社会の中における宗教の存在、など様々なことを考えさせてくれた。そして僕は、ほとんど日の当たっていない彼らの活動を記録する必要があるとも強く感じた。

被災地で支援するイスラム教徒

親しくなった校長先生、被災者と避難所の玄関で記念撮影(2011年6月5日)

 

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