南米の旅のおわりに③

 

ペリト・モレノ氷河 (エルカラファテ,パタゴニア)

ペリト・モレノ氷河 (エルカラファテ,パタゴニア)

話を旅に戻そう。

南米の人たちは、ほんとうに気さくで陽気だった。あとから思い返すと、それが最大限に振り切れて突き抜けている国がブラジルだったのだけれど。いったい南米の人々のこの陽気さと、人の目を気にしないおおらかさ、適当さ、人生を心から楽しもうとする生き方は、どこからやってきたのだろうか。ラテン系、の一言ではとても説明できない何かが南米にはあった。のんびりした田舎で育ったぼくには、南米の人々のおおらかさと適当さがとても心地よく、もしブラジルに移民しても楽しくやっていけると確信したくらいだ。

しかし良いことばかりではなくて、南米は治安の悪さも振り切れていた。

 南米の都市では、カメラを持って歩くときは30秒に一度くらいは後ろを振り返らないといけなかったし、後ろをつけられないようにかなり早足で歩いた。南米の国々は目に見えて社会の中に経済格差が大きく、貧しい人々がたくさんいた。経済格差なら、インドや中国やアジアの国にだって同じような格差があるが、南米のこの治安の悪さはどうしたことか。南米の都市では概して、おおげさではなくインドを歩くときの20倍か30倍くらい危険を感じた。インドではまだ首からカメラをぶら下げて歩くことはできるのだから。

南米の旅でよかったのは、ポルトガル語とスペイン語が使えればほとんどの人と話しができるということ。やっぱり同じ言葉で会話ができると、いろんなことが詳しく聞けるし、コミニケーションができて楽しい。両方とも日本で少し勉強してから旅立ち、はじめはほとんどしゃべれなかったけど、ポルトガル語圏のブラジルと他のスペイン語圏にそれぞれ5ヶ月づつ滞在したので、どちらの言葉もけっこう喋れるようになった。南米の人は基本的におしゃべりなので、毎日、町を歩いたり、宿にいる人と話しをすることで慣れていった。それでも、南米には少数民族の言語を話す人がたくさんいるので、そういった言葉もできたらもっと面白いんだろうなとも思う。

いろいろ書きたいことはあり、ほんとうは旅の間にもっといろいろ書けたらよかったのだけど、案の定というか、あんまり時間がなくてできなかった。日本に帰国したら、日記を読み返しながら、記憶を反芻し、忘れないうちにいろいろ書けたらいいなと思う。

これから日本に帰り、今度は日本で南米出身の人に会えるのも楽しみだ。南米の人が、特にブラジルの人なんかどうやって日本社会で暮らしているのだろうか。

それでは、明日はブエノスアイレスの街を少し歩き、空港に向かいます。トルコ航空のイスタンブール経由で、カレンダー上では丸2日かかる大移動を経て東京に帰ります。

 

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