「海を渡る」視点

今回『見果てぬ海』の作品を構想したきっかけは、自分の故郷である長崎の海と歴史を知りたくなったことでした。あまり認知されていないのですが、長崎県には離島が約600もあって、日本の中では圧倒的に島が多い地域です。そこで繰り広げられてきた重層的な歴史と時間を作品にしようと思いました。

長崎県の歴史には、もちろんキリシタン史があり、また遣唐使や空海が中国に行ったのは五島列島経由でした。そこには平家の落武者も流れ着き、倭寇もいて、また長崎港はポルトガル人が「発見」し、イエズス会領として発展した街だったり。鯨を獲りに紀州から来て、住み着いた漁民もいます。江戸時代には唯一の国際貿易港となった長い時代もありました。

そんな「長崎」の写真は今までたくさん撮られている印象がありますが、ほとんどが「長崎市内」だけで、離島まで行っているものは実はとても少ないです。原爆や市内のことがほとんどだったりします。そして、五島など離島に行っても教会建築や礼拝の写真が中心で、長崎の海と地形の複雑さしっかり撮ったものはあまりませんでした。そしてまったく見たことがなかったのが、船に乗って「海を渡る」という視点でした。

人が海を渡ったことで、文化が混ざり合いました。地形が複雑だったので、平家の落武者もキリシタンも隠れて生き残ることができました。仏教など他の信仰もあり、海を背景に魚や鯨を獲って食べる生活が現代まで続いてきました。『見果てぬ海』ではそのすべてを包む作品を撮りたかったのでした。